9/7(日)YSA創立15周年記念 競技会が開かれました
競技会開催に当たり、会長あいさつがあり、都筑地区センターの樋口さんから、創立15周年のご祝辞をいただきました。また、創立当初からおられる坂本俊子さんからもあいさつをいただきましたが、後日お願いして原稿としていただきましたので掲載いたします。
YSA創立15周年記念競技会 YSA競技委員 薩川俊三
曇り空の9月上旬としては涼しい、シャフルボード日和に、多数の会員が参加して、盛大で楽しい、YSA創立15周年記念大会を開催した。イベントとして、競技会と、昼食時の生ビール飲み放題を行った。競技会実施状況は、下記のとおり。
(1)競技会実施日 2003年9月7日
(2)競技会参加者 55名。
池永氏の知人、アメリカ人のRuss
Marcus氏が、参加した。Marcus氏はニューヨーク
市出身、子供時代に、シャフルボードをプレーしたことがある。
(3)ゲーム数 午前2ゲーム、午後3ゲーム。
12コートで、1度にプレーできる人員が最大48名のため、抽選により、20名が5ゲーム
を、35名が4ゲームをプレーした。
(4)ゲーム方式
全てのゲームが、ノン・ウォーキング・シングルスゲーム。
各ゲームが、55分間前後で終了するように、8フレームゲームとした。
(5)組合せ
抽選で背番号を決め、「55名・組合せ表」でプレーを行った。
所要のため最終ゲームを欠場した人が2名生じたので、出来るだけ不戦勝者をつく
らないように、相手がいない同士を組み合わせた。
(6)賞金
競技会の結果は、5勝1名、4勝6名、その他であった。
賞金として、1勝につき100円授与した。
全敗者には、残念賞として、100円授与した。
賞金の総額12,300円を、会費から支出した。 以上
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祝 横浜シャフルボード協会創立15周年 坂本俊子
横浜シャフルボード協会創立15周年おめでとうございます。
顧みますと、1988年9月横浜シャフルボードクラブが誕生いたしました。
その年10月、横浜市制百周年記念事業の一環として、まだ知名度の低かったシャフルボードの国際試合がここ都筑のコートで開催されました。それは華やかで素晴らしい大会でした。門のところから両側に各国の国旗が並び、アーケードも立派で写真のアングルには最高でした。コートの上は全部テントが張られて、昼間でも電気がついていました。ディスクが当たる音は大きく、慣れるまではうるさく思えるほどでした。
発足当時の会員はわずか13名でしたが、センターおよび会員の方々の普及活動により4年後には50名に増えておりました。そして名称も、横浜シャフルボード協会と改名されました。当初の会員は今も溌剌とされている林副会長と、私の2名だけが健在です。
最初の頃は日除けもなく、暑い時はもちろん、にわか雨の時などはとても難儀いたしました。初代波田野会長とともに何度となく市役所に陳情に行きまして、この日除けを設置して頂いた時は皆大喜びでした。2代目落合会長が退任される時、落合杯を寄贈して下さいました。年間150日位コートに通ったといわれる熱心な方でしたから、ご自分の記念品を遺したかったのだと思います。残念ながら、お二人とも故人となられてしまいました。
私が会長を拝命しました年は創立10周年で、皆様の御協力でいろいろイベントが催されました。記念のテレホンカードのデザインを主人と二人で無い知恵を絞ってなんとか完成しました時は二人とも興奮しまして、今でも思い出になっております。その以前にも、帽子のマークを二人の合作で考案しました。いつまでもこのマークを使用して頂ければ幸いに存じます。
YSA杯もその年に新設いたしました。そして、役割分担が決まったのもその年度でした。その後、皆様はその役割を果たしながら活動されて、YSAの運営に御協力下さっています。ディスクの跳ね返り防止設備やネットの補修作業など、コートも年々修理が必要になってきましたが、コートの管理責任者だけでなく大勢の方々の御協力で解決されていることを見るにおよんで、団結心の強い素晴らしい協会と誇りに思っております。
1999年10月、再びこのコートで国際大会が開かれました。YSAからも多数出場して大いに成果を上げることができました。今では立派なプレイヤーになられている方々も当時からボランティア精神を発揮されて、影の功労者として活躍されまして、ISAの会長さんからも大変お褒めの言葉を頂き感謝されました。4年間の在任中、大きなイベントに巡り合えて幸せだったと思います。すべて大成功裡に終わりましたことは、皆様の御協力と御支援の賜物と今もなお感謝の気持ちでいっぱいでございます。
薩川氏がアメリカ留学の折に導入が決まりましたネラシール塗布も、シャフルボードを愛する皆様の惜しみない御苦労によりましてコートの寿命を保っていると思います。シャフルボード大好きの人間がこんなに大勢集まって大盛会の15周年となりました。参加者実に55名という開闢以来の大人気で、チャート作りの薩川さんも嬉しい悲鳴を上げておられました。このまま発展し続けると20周年はもっと大変だなあと、思わず頭の中のおせっかい虫がつぶやいておりました。
現在は大勢の方々の御協力で、年数回配布されます会報もカラー刷りで見る目に楽しく、しかも豊富な内容になっていましていつも感動しております。広報を長期にわたって一手に引き受けて下さっている反町さんに、心より感謝申し上げます。今後とも会員に喜びと感動を与え続けて下さるよう、よろしくお願いいたします。
鶴岡会長はじめ皆々様の御活躍で、横浜シャフルボード協会はますます発展し輝かしい前途に向かって邁進されることでしょう。皆様、長老の荒木さんを目標に健康に留意されてお元気に、生涯シャフルボードを楽しんで下さい。拙筆ながら、お祝いの言葉とさせて頂きます。
坂本秀夫さん 田原好久さん 片岡篤さんが亡くなられました
坂本秀夫さん: シャフルの名人でした。つい最近のシャフルボード国際大会で海外に遠征された時には、日本チーム最高の成績を残されました。YSAにおいても、後進の指導に大変に熱心でした。坂本さんの指導で技術が向上し、上級者になった会員の方がたくさんいます。その方達は今や、落合杯やYSA杯の優勝を狙えるまで上達しています。休憩時間や昼休みでも、後進の指導に熱心であったことは、皆さん周知のことです。坂本さんのキッチンプレーは特に優れており、徹底的に決められ、グーの音も出ないことが度々ありました。目が不自由と申されながら、このテクニックで勝ち続けました。目の手術をされた後は、益々強くなり、とてもかないませんでした。
シャフル以外にも、特に最新技術を身につけて、YSAのために尽力されました。ビデオ撮影では、シャフル新人講習会にも活用されました。パソコンを使った似顔絵を書いていただいた会員の方が大勢いました。
ご冥福をお祈りいたします。(平成15年9月17日永眠)
田原好久さん: いつもニコニコ笑っている姿が印象的でした。コートにやってくると誰よりも、真っ先に「おはようございます」と挨拶してくれました。もうこの声を聞けないのですか。
ゲームに勝っても負けハッハ笑い、楽しく陽気に会の雰囲気を和やかにリードしてくれました。会にとってとても貴重な存在でした。あんなにお元気だったのに、何故そんなに急いだのですか。
ゲームの他にも、あなたの姿は印象的でした。例えば、コートの土ぼこり除去のためのコート水洗いの作業に積極的に参加していただき、特にホースを自在に操る洗浄のテクニックを披露していただけました。この技術は会員の賞賛の的でした。
ご冥福をお祈りいたします。(平成15年11月18日永眠)
片岡篤さん: まさかあなたまでもが、どうしてですか。 悲しいことです、唖然としています。親しい会員の方々が次々とこの世をお去りになりました。どうしてあなたまでが逝ってしまうのですか。相次ぐ会員の方の死去に茫然としています。
コートで静かに、にこやかとしておられた笑顔が素敵で、お話を伺うと饒舌になり、会話が弾みました。最近はコートに頻繁に通う姿をお見受けし、日に焼けた顔から、健康な雰囲気を感じさせてくれていました。それとともにシャフルの技術が向上し、今や一流の域に達しようというときなのに残念です。
飾らない人柄が魅力的で、こんなかたちでお別れするなんて、とても悲しいことです。
あなたもさぞ無念の思いをされていることと思います。
安らかにお眠り下さい。(平成15年11月19日永眠 ご本人のご意志により、親族のみで葬儀が執り行われました)
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坂本俊子さんから、「祝 横浜シャフルボード協会創立15周年記念」の寄稿の追記としてご挨拶をいただきました。(担当より・編集の都合で、分けて掲載させていただきました)
追記
去る9月17日、1年間の闘病生活の末、夫坂本秀夫は永眠いたしました。多数の方々に御会葬頂き有難うございました。故人も安らかに旅立って行ったと思います。生前は一方ならぬ御厚情を賜りまして誠に有難うございました。ここに紙面をお借りいたしまして、謹んで御礼申し上げます。
合掌
坂本俊子
2003/11/02 YSA 1日ト−ナメントの報告 競技委員 畠中
1..開催日時 : 2003/11/02(日) 09:30〜15:30
2.参加者数 : 38名(構成 A組:20名、B組:18名)
3.内容 1)挨拶 林副会長
2)組分け(A組、B組)抽選(無調整)
3)集金・賞金準備 松井競技委員 河合 ボランティア他数人
4)競技説明 黒田競技委員→畠中競技委員
5)ト-ナメントディレクタ- 古宇田圭祐
6)結果発表 黒田競技委員
7)表彰 林副会長
4.会計 1)収入:エントリ−フィ−38名x200円/名=7,600円
2)支出:賞金 省略
5.競技方法:シングル
第1・2戦:ノンウォーキング 12フレーム
第3・4戦:ウォーキング 12フレイム
第5戦:ウオ−キング 16フレ−ム
6.競技結果
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1位 |
2位 |
3位 |
4位 |
A組 |
メイン |
池永M |
反町 |
池永W |
水村 |
敗者復活 |
河合 |
磯和W |
清水 |
西本 |
B組 |
メイン |
川端 |
杉浦W |
長田 |
蔦木 |
敗者復活 |
加地 |
堂薗W |
古宇田 |
叶内 |
7.反省事項
第5戦について、レフリ−、スコアラ−を付ける事で、多少混乱した。
スコアラ−を希望する人は少ない。
事前に明確にして、競技を始めるべきだった。
2003年度新人戦報告 競技委員 畠中
1.開催日時: 2003年11月24日(計画通り)曇、気温12℃、風弱。 09:30〜13:30
2.参加者数: 36名
内訳 新人戦参加者:12名(2003年入会者+2002年入会者の内 会長が新人同等と決めた方々)
一般の参加者:24名
3.トーナメントディレクタ−:西本さん
4.競技方法
1)新人戦は7〜12コ−トを使用、ノンウォ−クシングルで4戦(チャ−トを使用)
勝ち数の多い方より1位から4位までを決める。同勝の場合はロギングによる。
2)一般者戦は1〜6コ−トを使用、トランプによる組合せ、
ただし、ト−ナメントディレクラ−からの新人戦スコアラ−の要請があれば、
これを優先して(競技中でも中止して)、交代でスコアラ−を務める。
5.新人戦参加者名(敬称略):千葉M、高橋、山崎、石川、千葉W、堀口、中村、川島、
平岡、長縄、長田W、磯和W 以上12名
(磯和Mさんは最初から途中退場の予定の為 本人の同意を得て一般に変更)
6.4戦の結果(敬称略)
4勝:高橋、磯和w 2名。1〜2位。#12コ−トでロギングにて順位決定する。
3勝:堀口 3位。
2勝:千葉M、山崎、石川、中村、川島、の5名。#9〜11コ−トで4位を決定する。
7.最終結果(敬称略)
1位:高橋 賞金800円
2位:磯和W 賞金500円
3位:堀口 賞金300円
4位:石川 賞金200円
8.反省事項
新人は競技の進行が遅い、結局4戦全部にスコアラ−を付ける事になった。
ロギングにも、審判とスコアラ−を付けた
最初から「スコアラ−割り当て表」を作って配置した方が良かった。
一般の方々の協力が、とても重要だと実感した。 以上
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