1.2004年度定期総会が開かれました ここをクリック
2.トピックス:NHKテレビ放映と毎日新聞に掲載されました
3.今年度第一回目の一日トーナメントが開催されました ここをクリック
4.新会員の紹介と退会会員のお知らせ
・新会員を紹介します。(敬称略)
奥井澪子 住所、電話番号は省略
鈴木夏雄 同上
鈴木和代 同上
・退会された方は10名、上原裕正、菊原松雄、篠崎和巳・晴子、田口完治、
辻照道、西本順子、坂本秀夫、田原好久、片岡篤さんです。
・4月現在の会員数は75名です。
5.アメリカ一人旅とフロリダ・トーナメントに参加して 鶴岡二郎
今回の旅行は一人旅でLas Vegas、Boston、New York、Washingtonを経てFlorida入りという、冬から真夏の都市への移動で、その距離と輸送機関の乗換数も多く、Suits
Caseの運搬の問題を念頭にPlanを立てなければならなかった。
どうやらそれを克服、且つ一部を残して40数年振りの都市訪問を達成し、又一昨年に引続きFlorida滞在中の薩川御夫妻の宿泊先に11日間お世話になることによって、シャフルボードのメッカの土地で短期間に充分にプレーを堪能できたことは、私にとって此の上ない幸せでした。
1.成田(viaS.F.)→Las Vegas
ラスベガスは多くの方が行っておられると思いますが、私は初めてでした。土台ギャンブルのメッカと思っていたので余り行きたくない街でしたが、今回Grand
canyonとMonument Valleyを航空機で訪れるにはここが基地の様なもの故、訪れざるを得なかった訳です。
空港からホテル迄Taxiを利用したところ、driverは礼儀正しく、しきりと街の安全性を強調し、御本人も退役軍人で、ここに住みついている、ここのホテルはいずれも規模が大きく部屋数も数千室ある、と自慢していた。
私の宿泊先も中にメリーゴーランドその他の大型廻転遊戯機が数台あるドームが中央にあり、ゲーム機が数百台無暗やたらと散在し、フロントに行くのにどうしてもその中を通り抜けていかないと辿りつけないという有様でした。
季節はずれの時なのに、親子連れの家族が多く落着ける雰囲気ではなかった。室内は広かったが造作は2〜3流であった。
宿泊の翌日早朝ホテルを出て、Scenic Air Lineの飛行場から先ずGrand Canyonへと飛び立った。ガイドに数ヶ月前に観光ヘリが墜落して全員死亡の新聞報道を読んだが、安全性はOKかと尋ねたら、「あれは他社の事故で、当社はヘリでなく双発機で操縦士も正副二人が搭乗しているので安全だ」とのこと。
Canyonは上空から見ないとその距離の長さが分からないが、地上から見た峡谷は展望は広いが、以前見たYosemiteの岩壁の様な威圧感はなかった。午後からMonument
Valleyへ行く予定が現地が強風との理由で飛行中止となり、真に残念だった。
2.Las Vegas→Boston
Bostonは私の憧れの街、米国歴史の誕生の街、英国風の古い建物が残り、落着いた雰囲気の街と思う。ホテル代は一般的にニューヨクより高く、とりわけハーバードやマサチューセッツ工科大学の卒業式の季節は、学生の親族や関係者の宿泊で満杯になり、高くなるということでした。
ハーバード大学の紅葉は見事でした。ハーバード氏の高い石台の上にある椅子に腰かけた銅像の左脚靴先に手を触れて来訪者が記念写真を撮る為か、ピカピカと光り輝いていました。その私も選に漏れず同じく一枚シャッターを切って貰い、偽卒業生になりすました次第です。
Quincy Marketは、他の都市には見られない昔のしゃれた三棟の建物に、個性のある衣料、洋品、鞄、雑貨、絵画、食品等の所謂ショッピングモールが中庭をはさんで夫々の店を構えて、19世紀からの伝統を守っているのは何とも云えない魅力でした。
3.Boston → New York
Greyhoundのバス利用も考えたが、高速道路をただ走るだけでは何処を走っても同じだし、所要時間も6〜7時間かかることで之を避けたが、各都市の中心部に発着場があるのと荷物が必ずハイデッキの下に入れられることの利点で、当初は之に限ると思っていた。
然し、2000年から運行を始めたAMTRAKの特急ACELA EXPRESSのFirst
Classを張り込んで予約した。旅行社の課長が、アメリカの列車は新幹線や成田エキスプレスを想像していると荷物の置場に困る様なことを云っていたので、車内の持ち込みについては半信半疑であったので、敢えて1等にした訳だ。ボストンのSouth
Station駅はそれ程大きくないが整っていたし、構内で立派な日本の寿司弁当も売っていた。
列車は座席指定はなく車両の定員数だけを発券し、早い者勝ちで座席を選ぶ仕組。ビジネスマン用の広いテーブル席もあり、若い人が着席するや否や手持ちのPCを操作していた。
車両係付のWaiter & Waitressが各1名いて食事飲物のメニューを提示してくれたが、そんなこととは知らず、乗車前にたんまり腹ごしらえ済ませた為、しまった!とは思ったが後の祭り、殆んど何も口に入らなかった。
列車はコネティカット州の海岸をひた走り、走馬灯のように長く続く入江を車窓に眺め、ニューヨーク迄約3時間半で着く予定の処、都市に近づくにつれ鈍速になり、約1時間遅延したと思うが、それに対する何のアナウンスもなかった。日本の新幹線は正確だし、その点の客に対する説明も適確になされていると思った。
列車はNYのGrand Central Terminalに着くものと思って居たら“Penn Station”のアナウンスがあり、エエット?と思いウェイターに聞けば、“This
is New York”という。時刻表にも単にNYと記載され、何処にもPenn Stationの文字はなかった。田舎者である。無論、地下駅で東京の銀座線の様な幅の狭いホームにエスカレーターがあり、地上に出る迄と出てからTAXI乗場を重い荷物を転がして、既に暗くなった街で見つけるのも大変と思ったら、幸いに一人だけ黒人の赤帽が居たので、おごって荷物を託した。
1等車に乗った効果がここでも発揮された訳である。お蔭でスムースにラッシュアワーの雑踏の中、目的のTAXI乗場迄辿り着けた。生憎小雨が降り、車を待つ人は長い行列を作っていた。
やっと自分の番が来て乗車し、運ちゃんに正確に行き先の45番街の“Ramada
Milford Plaza Hotel”と告げたが、そんなホテルは知らぬと云う。そこで前以って書いたカードを見せて「歴史のあるホテルだ!知らないのか?」と車を降りかけたら、“$7でどうだ?”と折れて来たのでOKして走らせた。既に交叉点の信号は青になり、次の車がクラクッションを鳴らしていて、気ぜわしい一時であった。
翌日の予約をした市内観光は、他のグループに便乗した一般的なものだった。ただ私としてはGround Zeroに降りて犠牲者の冥福を祈りたかったが、側を車で通過するだけで残念乍ら、後で一人で現地を訪ねる時間的余裕がなかった。観光団体がゾロ〜見学することは避けている様であった。
NYでの収穫の一つは、Broadway Musicalを見られたことです。一日ガイドの男性が自慢げに有名劇場の当日切符がとれるのは我が社だけと云っているので依頼したら「美女と野獣」か「オペラ座の怪人」(The
Phantom of The Opera)を8:00pm開演の切符がとれたとのことで、一旦観光を終って、他所によらずホテルに直帰して強行軍の体を寸時ベットに横たえた。
所が、目が覚めたら何と8:10分も過ぎているではないか!!慌ててその上演劇場Majestic Theatreの在り場所をフロントで聞いて走って行った。幸いにホテルの直ぐそばだった。幕間でなければ入場は不可能と思ったが入口のおばさんに平身低頭したら直ぐ入れてくれたので之又幸運だった。ハーハー云って席に着いたが、正装のご婦人連中がいる中で、私が緊張して見るうちに、つい又睡魔が襲ってコックリコックリ。何という観客かと笑われたことと思います。
今一つの収穫は、Yankee Stadiumへ地下鉄を乗り継いで見に行ったことです。松井がプレーしている所を見たかったがタイミングが合わなかったのは致し方ないとしても、せめて球場を外部からだけでも見たかったわけです。駅名は単に161st.と記載されているだけでよく注意していないと降り損ねてしまう。シーズン外れの為、ホームの壁の所々にYankee
Stadiumの小さな張紙があるだけ。球場は駅のすぐそばにあり、訪れる人も見かけなかったが、帰ろうとした時数人の見学者が係員に外野の門を開けて貰っていたので、これ幸いとフィールドの写真を撮らせて貰った。
4.NY(Laguardia A.P. )→Washington(Reagan A.P.)
甚だ浅学でお恥ずかしい次第ですが、スミソニアン博物館と云えば一建造物だけと思っていたら、それは博物館群であって、美術館、博物館、科学館、動物園等を含めて16ヶ所に及ぶ一大文化集積所であることを初めて知りました。
朝、AMRTRAKのワシントン駅で半日観光を一緒にするグループ6人と一台の小型車に乗り合わせて、White
House、国会議事堂、 FBI本部、アーリントン墓地etcを見て、スミソニアンの国立航空宇宙博物館を見て解散ということだったので、私は更に国立美術館を見て帰宿した。Pentagonは目下見学中止中で、車窓から見た所では襲撃を喰った個所は多少外壁が明るい色をしているだけで殆んど跡形もないと云ってよい程でした。
5.Washington(via Minneapolis)→Tampa
Tampaへは11月19日に到着。前回と同じ様にJohn Barnet夫妻が薩川氏と共に空港に迎えに来て頂き、そのまま直ちに高速道路を美しい夕日を眺め乍らBradenton
迄の60kmの道のりをJohnさんの運転で送って下さった。薩川さん夫妻は滞在先ではShunzo、
Kumiで通っているので、私も滞在中は慣習に従って呼ばせて貰っていた。
Shunzoさんのこと故、シャフルボードのplayについては事前にバッチリ、スケジュールを下記の通り立てて下さり、その通り天候にも左右されず実施出来た次第です。
@ 11月10〜12日 State T. Ws.
A 11月13〜15日 D’stct T. Ws.
B 11月17〜19日 State T. Ws.
@はPort Sharlotte SBC A、BはBradenton SBCで行われ、@はプラデントンの南80kmにあり早朝より出掛けた。
各トーナメント共Shunzoさんとパートナーを組んだ。相手は皆一流のプロではあるが、いずれの試合も簡単に敗退しなかった。17日の試合はステートトーナメントだったが、コンソレーションの第1試合に勝ち残り、18日の第1試合も勝ち、第2試合も最終第3ゲーム74:74(75pts制)のハンマーが私であったが、完全に勝てるシュートをミスして敗退した。勝った場合は準々決勝進出であった。私の判断ミスが大きかった。
11月とは云え、焼けつく様な太陽の下、公式戦のない日は居住地内のコートでプレーし、充分に堪能させて貰いました。この記事を読まれる皆さんには羨ましがらせるだけで申し訳ありませんが、滞在中は久美さんの手料理を毎日たら腹食べ、ビールを飲んで、熟睡して、澄み切った空を見て起き、良い空気を吸って申し分ありませんでした。
帰国の際は、航空便の関係でタンパ発成田への連絡便は季節的に早朝の一便しかなく、Barnet御夫妻は午前3時起床4時に私を迎えに来訪という、真に何と御礼を述べて良いか判らぬ御世話を受けました。宿舎そのものも無論同氏の御所有のものと聞いております。空港でも改札の始まる迄一時間以上もジット待機されているので、御帰り頂きたいと云った所“鶴岡さん、私は31年間こんなことをやって来ていますから気にしないで”と云われ、その一言に私は頭が下がりました。ノーベル平和賞にも相当する賞を受けた人が、何の気負いもなく、おしつけがましいこともなく、常に笑顔で心の底から親切で、何の報いを求めないボランタリー精神の権化の人に思えます。私としては只一つ報えるのはシャフルボードの普及に専念して、一人でも多くの会員を増やすことだと思っております。
今回の旅行中に「国際べんり電話」の携帯電話を借り持参して、旅行中家へ連絡をとっていましたが、家内の健康状態が想像していたより思わしくない為、帰国後一度もプレーをしておらず、皆さんに何かの御迷惑をおかけしております。個人的なことではありますが、お蔭様で序々に快方に向かっておりますので、出来れば月例会は半日でもプレーをして皆様と楽しみたいと思っております。任期も残すところ数ヶ月となりましたので、何とかそれ迄頑張る所存でございます。
最後に、来る3月のISAのMESA国際大会参加者応募の件では、大変多くの方々に多大の御迷惑をかけたことを、深く御詫び申し上げます。
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グランドキャニオン 太極拳の構えのようですが風が吹いて後ろがこわいのです。 |
ジョン ハーバードの銅像の前で |
ハーバード大学構内 |
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注:
ここの画像はプリント写真をスキャナーで読み込んだものです。 |
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マジェスチツク劇場前
建物の外部が見えないのが残念 |
ホワイトハウスに行つたという証拠に |
6.ブラデントン・シャフルボード・クラブ
(Bradenton Shuffleboard Club)
薩川 俊三 |
1998年以来4回目であるが、私達夫婦は2003年の11-12月の2ヶ月間、フロリダ中部の西海岸にあるブラデントン市に滞在して、常夏の気候を楽しみながら、シャフルボードのプロトーナメントに参加した。このブラデントン市に、ブラデントン・シャフルボード・クラブがある。クラブは1930年代に、50
- 60名のメンバーと6コートで結成され、次第に大きくなって、現在の会員数は約300名、37コートがある。会員にトップ・プロが多く、Lary
FarisやJohn Barnett夫妻も会員である。施設はブラデントン市が所有し、クラブが運営している。クラブがコートの保守を行い、ディスクを備え、電気・水道代を支払っている。
アメリカのシャフルボード組織は、ナショナル・シャフルボード協会の下に各州の協会、その下にフロリダ州では7つの地区協会がある。ブラデントン・シャフルボード・クラブは、南西海岸地区 (Southwest Coast District) 協会、フロリダ州協会 及びナショナル協会のメンバーである。年会費$10を支払うとクラブ会員になり、各協会主催とクラブ主催のトーナメントに参加することができる。
クラブのシャフルボードコートは、フロリダの最も良いコートの1つにランクされていて、このクラブで冬季シーズンの10-3月の6ヶ月間に、ナショナル1回、州3回、地区11回、クラブ14回のトーナメントが開催される。トーナメントは、ナショナル、州及びクラブ主催が毎週月曜日に、地区主催が木曜日に始まる。今回初めて、私達はこのクラブの会員になって、ナショナルと州主催トーナメントが遠隔地で開催された場合は、クラブ主催トーナメントに参加した。
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各協会主催トーナメントの殆どが、男女別ダブルスで、パートナーを自分で選ぶ。参加者が多いので順々決勝が第4回戦で、これに負けると、もう試合は無い。賞金はメインとコンソレーションの4位までに、$5のエントリーフィー合計金額が経費を引いて配分される。
クラブトーナメントの方が楽しい。パートナーを男女混合の抽選で決める。参加者が60名以下と少ないので順々決勝が第3回戦。これに負けても5-8位決定戦があり、32名が2日間5試合を楽しむことができる。賞金はメインとコンソレーションの8位までに、$4のエントリーフィー合計金額が、大差無く配分される。私はメイン1位が1回あり、90才の誕生日のパートナーとトップ・プロの組を順々決勝で破ってメイン4位もあった。クラブのクリスマスパーティにも参加した。友人が増え、クラブライフを堪能した。 |
地区協会主催トーナメント風景
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クラブ主催トーナメントの朝 |
Marylin, Kumi, Shunzo, Jiro |
7.新年挨拶に書き残したこと 鶴岡二郎
新年の挨拶で書き残した以下の点を、特記させていただきます。
最近のIT時代では老若男女を問わず、パソコンの利用は必要不可欠になっておりますが、かく云う私も昨年より止むを得ずPCを購入し、インターネットを利用してメールのやりとりを幼稚園生なみに交換しております。
YSAでは杉浦氏のお骨折りにより、早くよりホームページを立ち上げ、各種の有効な情報を掲載して、会員はもとより協会以外の方々へのPRや、問合せ等を頂いております。昨年は特に渡米中の薩川氏と、緊急な連絡には種々御努力を頂いたことを申し添えます。
8.会員辞任の御連絡と御挨拶につきまして 田口完治
春も近くまで訪れて参りました。土筆も顔を出し桜の開花を待つばかりで本格的な陽気も間近です。
さて、私事、此のたび諸般の事情を勘案いたしました結果、今後におけるシャフル競技の継続は無理との結論に達し、この辺が汐時とも考えまして洵に残念乍ら断念し、会員資格の返上を決心致しました。
即ちその理由としまして
一.呼吸器疾患調整の不備による息苦しさの症状
一.八十路の坂を三つ越え年令的に伴う体力、気力の衰退
一.視力、聴力の難視聴の進行、加えて手術の後遺による発声の不調い基づき、
対人通話に及ぼす影 響、電話による通話は殆ど役にたちません
などなどの悪要素ばかり目立ち情けない限りです。事情御賢察の上ご承認を賜りますようお願いを申し上げます。
なお、会長さん初め会員諸姉、諸兄の皆様方には一方ならぬ御世話に相成り重ねて御指導、ご交誼も頂き感激の極みです。また併せ加へて楽しい思い出も頂戴いたしました。大切に胸に刻んで仕舞っておきます。茲に衷心より感謝の意を込めまして改めまして「ありがとう」ございました、厚く御礼を申し上げます。
終わりに臨みまして会長初め会員ご一同様方には益々精進をなされ、シャフルの発展に寄与されますことを切望致します。末筆ながら会長初め御一同様方の御健康とご繁栄を祈念致しまして御礼の御挨拶にさせて頂きます。
平成十六年三月吉日 田口 完治
横浜シャフルボード協会 会長 鶴岡 二郎 様 会員 御一同 様
9.連載「シャフルボード入門」 40.大詰め 薩川 俊三
省略
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